2015 年 9 月、私は群馬県の片田舎に滞在し写真を撮っていた。期間は 7 日間と短いものだったが、そのうち数日は昼夜を問わず降り続く猛烈な雨に身体を濡らしての撮影だった。その雨はのちに「平成 27 年 9 月関東・ 東北豪雨」と呼ばれる 24 時間の降雨量が300ミリ(最大 600ミリ以上)にもおよぶ記録的な大雨となる。
<「茨城県鬼怒川が氾濫している」>聞こえて来るリポーターの声。テレビをひとしきり眺めてまた写真を撮りにいく。そんなことを続けながら数日が経つ。徐々に雨が弱まり、茶色がかった川の水が少しずつ透明になってゆく。太陽が川面に当たり眼に眩しいが、私がこのときに感じた自然の力は、美しさではなく恐ろしさだった。
この滞在の中で撮影した写真は『吸水』という名前で一度作品として纏めている。その数日の雨が人の住む場 所に与えた影響を捉えたもので、あくまでも「雨」に関する作品だった。この雨との日々は、私自身の作品制作にとって重要な考えをもたらした。それは
1「人と自然は、影響を与え合っている」という2つの事柄の関係性について。
2「自然の写真を撮りながら人を見ている」という、私自身が撮影した写真の先にある視座についてだ。
『吸水』の中で、そのきっかけを掴むことになった写真がある。
川に架かる橋のすぐ下に無数の穴を見つける。直径と深さはどれもが 1mを超え、溜まった水は暗い雲と土の色が混ざり合う濃紺色だった。雨粒が落ちるたびに水面が震えて波紋が見えた。十分に見えた水にも 飽き足らず、それでもそれでもと水を集め続けていた。「この穴は何か」と村人に聞いてみると、殺風景な橋脚の周りに植樹をしよと掘られた穴だと言う。普段であれば見過ごすようなものが、特別な雨のおかげで際立っていた。この穴は間違いなく人が掘り、雨という自然が大きく干渉していた。写真になった穴を手にして眺める。この重たく溜まった水の向こうに、人の姿を透かして見る私がいた。
それから 5 年が経った今、私は日本国内を中心として、「自然」について、その先にいる「人」についてを一つずつ掘り下げるように写真を撮り続けている。「平凡な林に見えるものが、防風林であること」「川で石を集めていた老人が教えてくれた水石(すいせき)と呼ぶ文化について」「海岸から望む平らな形をした島に野生馬が住み、その島への上陸を人が禁止していること」。それはごく一部のエピソードだが、写真を撮 、人と話し、調べることで知ったことだ。
『穴を掘る』は自然と人の脈々と続く関わりを、小さな手で掘り続ける写真の集積である。一人で行うには体も時間も足らないが、この身で写真を手にして知ったことや経験は、私たちの暮らしや見識に新たな理解をもたらすと信じている。これからもそんな地 道な行為を続ける 。
作家名片岡俊作品名穴を掘る年度2020年 PITCH GRANT