私は韓国をルーツとする新来外国人だ。新来外国人とは1980年代以降、留学や 経済的な要因のもと急増した移民のこと。これまでに私自身の出自を出発点に作品を制作してきた。韓国に暮らす祖母を訪 ねて制作した組写真によるビジュアル・ストーリーや、家族写真がうつされた場所を再訪するドキュメンタリー映画など、どれも漠然と感じてきた郷愁を原動力にルーツを辿っていく表現だ。今回の応募作品もそうした展開の延長上にある。 ただし、これまでとは異なる点もある。それは、個人史以外に他者の出来事も題材にしていること。
「新潟(仮)」は、在日朝鮮人帰国事業の出港地であった新潟 を旅しながら「朝鮮」を探る思考の過程を経て作品になっていく。在日朝鮮人帰国事業とは、1959年から1984年にかけて北朝鮮政府、日本政府、赤十字社によって行われた、日本人妻らを含む在日コリアンとその家族による集団移住。送り先は当時、朝鮮戦争後まもない北朝鮮だった。在日コリアンの9割以上 が南側(現在の韓国)の出身であったにもかかわらず、当時は民主化に至っておらず日本との国交も正常化していない韓国に比べて、「地上の楽園」という嘘の喧伝、社会主義国家として成長が望めるかもしれないという期待、祖国である「朝鮮」の記憶、貧困や差別による生活苦などを理由に10万人近い人々が北朝鮮へと渡って行った。彼らのその後は今でも全容が伝えられていないが、収容所へ送られ亡 くなったり、度重なる差別にあったり、想像を超える貧困生活を余儀なくされたりと大変な苦労を背負った方々が多いとされている。
帰国事業について調べていくうちに、在日コリアン(特に1世と2世)にとって 祖国である「朝鮮」のことが気になった。既に存在しないヘテロトピアであり、来たるべきユートピアでもある不思議な場所。私にとって近くて遠い存在でもある。日本で公立の学校に通いながら教育を受けた私にとって、「朝鮮」に日常の記憶を 遡って辿り着くことは難しい。両親や祖父母のルーツではあるけれど、移住による断絶がある。同時に、帰国事業について調べるほど、新潟に残る北朝鮮の痕跡や、 分断から垣間見える「朝鮮」の存在を考えるようになった。そこで、帰国事業を題 材にしたこのプロジェクトを、私自身と「朝鮮」が新たに関係を結ぶための契機にしようと考え始めた。こうした思考の末に私が試みているのは、新潟を旅しながら、自身の立場とそこから理解する歴史を背景にしつつ「朝鮮」を探っていくことだ。そして、歴史認識=言語を通して、目の前の現実までできる限り迂回して辿り着くこと。この試みは郷愁という感情が、風景にイデオロギーや愛国心を反映する危うさを孕みながらも、単にそれらに絡めとられるのではなく、目の前に広がる光 景を遠ざけ、宙吊りにし、ルーツに対する逡巡に満ちた豊かな関係性としてあり得る可能性を追求している。
作家名李和晋作品名新潟(仮)年度2023年 PITCH GRANT